事業承継は、事業を行うために必要な「資産の承継」と新しい経営者への引き継ぎを行う「経営の承継」と2つの側面があります。中小企業診断士は、このうち「経営の承継」のコンサルティングの案件が多いのが実情であると言われています。
また、事業承継は、受け継ぐまでの部分をフォーカスするイメージがあります。だが、企業にとって重要なのは、引き継いだ後の新しい経営者が、事業を今まで通り、いや、今まで以上、順調に経営を進めることかと思います。
今回は、経営を引き継いだ社長の今後に対するテーマとした実務従事案件を指導した村上章指導員(城北支部)にインタビューを行いました。
案件名 | 独立系SEから配偶者実家の家業(印刷業)を承継した後継者の事業承継支援 |
業種 | 印刷業 |
概要 | ・現社長は前経営者(配偶者の父親)の突然の逝去に伴い、急遽新社長に就任。 ・現社長のキャリアは、全く畑違いの独立系SE。 ・新社長就任後、約1年経過。これまでの従業員から見れば新社長はまだまだ新参者の立場であり、今後の舵取りについて悩んでいる状況。 →この状況に対して、今後に関する経営支援(中期経営計画策定支援)を実施した。 |
指導員 | 村上章指導員(城北支部) ・実戦経営コンサルティング株式会社代表取締役 ・事業承継コンサルティング株式会社代表取締役 ・台東区中小企業診断士会会長 ・中小企業庁 中小PMIガイドライン策定委員 |
「チーム」でやる必要がある大きい診断は実務従事で
インタビューアー(以下Iに省略):今までの実務従事案件の指導経験を教えてください。
村上章指導員(以下敬称略):
最初は実務補習の指導員をやっていました(現在も継続している)が、実務従事案件は、2016年より始めており、現在まで7件の指導を経験しています。うち、今回のテーマである「事業承継」は4件です。
実務従事案件は、全て4月、10月に開催される「マッチング会」による案件です。最初の方は、スケジュールに案件対象企業の都合等の関係で平日を組み合わせていましたが、参加者に企業内診断士が多く、募集してもなかなか集まらないため、現在のスケジュールは土日を中心に組んでおります。
I:実務従事案件の指導員をされている理由を教えてください。
村上:
私の専門である事業承継のコンサルティング案件の引き合いルートは、公共機関からが主で、多くは信用保証協会、全国信用金庫連合会経由のもので、その中で「事業承継」の紹介は、ここ2、3年増加傾向であります。また、私は台東区中小企業診断士会に所属しており、台東区からも案件の紹介を受けることがあります。
それらの案件の中には、ひとりで対応できない大きい案件を紹介される場合があります。それらの診断案件は、細部の分析を含み「チーム」として取り組む必要があるぐらいのボリュームがあり、その場合、チームで活動する「実務従事」の機会を活用して、案件を提供、経営診断を実施します。
チームとして実務従事案件を実施する場合、いろいろな業種、キャリアの方々がいるので、指導員としても刺激を受けます。実務補習は中小企業診断士の「3次試験」という意味あいがあるので、基本的に受講生は指導員の言うことを聞きます。それに対して、実務従事は、参加者に経験豊富なベテランの方が多い。知見があり、経験豊富なベテランの参加は、指導員としても得ることが多く、この部分でも刺激を受けます。ある種の緊張感があり、実務従事の指導は楽しいので、実務従事を現在まで実施しております。言い換えれば、実務従事は、中小企業診断士としてもアップデートできる場でもあるし、指導員として事前にアップデートしないと望めない場と思っています。
「事業承継」対象の経営者と中小企業診断士の関係は?
I:参加者の今回のテーマになった背景を教えてください。
村上:
今回の実務従事は、印刷業の事業承継案件です。現経営者の先代経営者(妻の父=義父)が亡くなり、急に社長に就任。経営者になって1年経過した状況で、今の印刷事業で何をすべきか、特に営業分野をフォーカスして診断した案件であります。経営承継した後の案件であり、受け継いだ現経営者の育成という側面がありました。
案件企業の課題としては、先代の経営者は優秀な営業力で、業績を上げていましたが、いわゆる「昭和の営業」で、情報の共有化されていません。そのため、顧客などの管理情報が標準化されていない、いわゆる「ナレッジの共有化」が重要課題でありました。さらに、新社長は従業員から見れば突然外部からやってきた形になるので、社内での求心力が弱いという面がありました。
この現状から、現状に関して数値化を図りながら、将来に向けた中期経営戦略を策定することが、今回の案件のミッションとなります。現経営者は、経営を引き継いでから1年間は社内の様子を見ていましたが、このコンサルティングの機会で、「第三者として診断してほしい」というニーズがあり、今回、実務従事にて対応しました。
事業承継を受けた経営者にとって、周りにはなかなか相談できる環境でないことが多い。中小企業診断士は第三者の立場で、相談できます。経営者にとって力を引き出すこと(エンパワーメント)、勇気づけること(エンカレッジメント)が重要になるポイントとなる意識で、今回は参加者に指導しました。
I:事業承継といえば、この頃M&Aが話題となっているが。
村上:
中小企業診断士が絡むのは M&Aより、親族による事業承継、従業員承継の部分と考えています。実際、親族承継の需要はまだ多い傾向です。また、資産承継の話より経営承継をどうするかの話が中心であり、この部分が中小企業診断士の特性に合っています。今回は、「経営承継」をフォーカスしたテーマとしています。
M&Aに関して言えば、合併までの話は、M&A専用のコンサルタントの世界と思っていますが、合併した後の組織運営は、中小PMIガイドラインがある通り、今後の経営の話なので、ここで中小企業診断士の登場と思っています。M&Aはそれ自体成功しても、その後の経営がうまくいかないところが多いのが実情であり、今後、この部分で中小企業診断士の活躍は多くなると思います。
中小企業診断士は「制限の中でいかにアウトプットを出すか」
I:実務従事のスケジュールはどのようになっているでしょうか?
村上:
初日に最初の2時間のミーティングの後、診断企業の経営者へのヒアリング(ヒアリング時間は3時間)を実施します。2〜5日目でディスカッション、資料のまとめ、最終日(6日目)に経営者への報告会へとなります。
実務従事も実務補習も最初の2時間は私が話します。そこでは、自己紹介、企業の情報と共に、基本的な私の考えてある「限られた時間、範囲で、相手の期待を超えることが重要」であることを伝えます。
診断までの事前の情報は、会社名、業種、簡単なプロフィールの開示だけです。このデータを元に参加者は、企業情報、関連業種情報など資料、基礎データを収集します。この頃の参加者は、たくさんの情報を与えなくても、Web情報などでヒアリングができる段階まで情報を集めます。特に、若い人の情報収集力は素晴らしく、会社の状況の仮説までできるまでできていると感じています。また、メンバー同士の紹介は、初日の前にメール上でお互いの自己紹介(プロフィール)を開示して、ネット上でありますがコミュケーションを取るようにしています。参加者の積極的な情報交換で、チームの結束力を高めます。
中小企業を相手するには、時間、ポテンシャルなど「制限」が多いのが普通です。企業内診断士の中には、上場企業(大企業)の方が多いので、どうしても「いいものを作る」ことを優先して理想を追いがちです。でも、私は「制限された中で、いかに提案できるか」が、中小企業診断士に試されているところと思っています。だから、初日のスケジュールまでの短時間、制限のある中でのヒアリングを前提に、今までもスケジュールを組んでいました。
ヒアリングに関して言えば、追加のインタビューは基本認めていません。初日のヒアリングという「制限」の範囲で、いかに「付加価値」を生み出すかが重要と考えています。あまり細かく聞くと、経営者の期待も高まる可能性があり、その結果、こちらの期待と経営者の期待がかけ離れる可能性がある側面があります。実際、実務補習で追加インタビューをしたことがありますが、結果があまり芳しくなったと思っています。なお、参加者は基本、「制限」の範囲以内でその期待に応えています。
I:この頃、実務従事を「リモート」で実施する場合がありますが。。。。
この頃、実務従事は新型コロナウイルス感染症対策で、リモートでやることが多くなっているようですが、私の実務従事は、全行程対面で行いました。それは、指導員、参加者同士の関係性も含め、いいものを作るため、求心力の部分も含め、対面の方がいいという判断で実施しております。参加者はこの実務従事という「研修」に参加料(協会会員36,000円)を払っての参加です。参加者への付加価値もつけたいと思うし、参加者も参加料以上、時間以上に付加価値をつけたいと思うでしょう。その期待に沿うため、参加する限りいいものを作ろうと思って指導しております。
実務従事の指導員は「プロデューサー」である
I:初日に実施する参加者の役割分担はどのように決めますか?
村上:
役割分担は、私から指示はしていません。ヒアリングの後、企業の内部、外部分析(SWOT分析)の前に、参加者同士のブレーストーミング(ブレスト)で決めます。事前のメール、初日の段階で、参加者同士のコミュニーケーションはできているので、大抵、ブレストで実施します。
今回の実務従事案件に関して、参加者のやりたいことは事前に聞いています。役割分担において、得意分野をやるのがいいかはなんとも言えない面もあります。その意味も含めて、役割分担は私の指示でなく、参加者のブレストで決めます。
I:ヒアリングと報告会を除くと4日間という短期間で経営診断書をまとめることになります。
まとめに対する考え方、進め方はいかがでしょうか?
村上:
基本的には、役割分担の段階から、参加者主導でディスカッション、報告書のまとめを任せています。指導員の立場は、「プロデューサー」と考えています。参加者が自発的にまとめることがまず優先と思っています。ただ、参加者のアウトプット、データに対するモニタニングは常に行っており、それによって、指摘、指導を進めます。
「プロデューサー」と立場としては、方向づけが違った場合は指摘する、効果的に気づきを与える、それが役割と思っています。参加者は(先述通り)キャリアを積んでいる方々なので、信頼していますが、大前提として全体最適の追求、顧客(クライアント)満足を念頭に進めることは、絶対と思っています。そして、私のベースとなっていることは「参加者との信頼関係」「参加者への信用付与」です。初日の会った瞬間から、参加者との信頼感を持ち合うようにしています。中小企業診断士の「エンパワーメント」「エンカレッジメント」 が重要と思っており、指導員は方向性をずらさないことを念頭にして「プロデューサー」の立場で進めます。
私として最低限やらないと決めていることは、直前における「全部やり直し」です。他の指導員でこのようなことをやる方がいるという話を聞きますが、それは絶対しません。それをしたら、自分の指導の仕方、「プロデューサー」として失格という証拠となり、指導員に能力がないということになると私は思っています。直前でやり直させることが正しいと思わないし、この行為は中小企業診断士のステータスを落としかねないと思っています。
I:経営診断書を作成する過程で、参加者の間でスキルの差があった場合は、どのように対応するでしょうか?
参加者によっては、スキルの差があるのは否めません。例えば、やり方がかっちりしている財務分析では能力の差が出ませんが、やり方が柔らかい部分であるマーケティング分野で能力差がある場合があります。マーケティングのスキルの差がある場合は、他の参加者へのカバーリングの指示を出す場合はあります。その時は、タスク配分が偏らないように気を使います。ちなみに、今回の参加者で、スキルの差は特にありませんでした。
I:まとめる過程で、意見の対立等あったことはありますか?
参加者には立場と考え方の違いで意見の対立する場合があります。過去には同業種(有名企業同士)で考え方の違いで喧嘩になるぐらい対立することがありました。しかし、それを否定するつもりは全くありません。お互い、その道のプロであるので対立があるなら対立すればいいのです。実務従事の場は、いろいろな立場で意見の戦える場所と思っていますので、意見を言い合って、お互い高めればいいと思っています。第三者から見て、その対立がすごく勉強になることもあるのも事実です。
人生を賭けて話し合う。自分の意見を言い合う。それが「村上メソッド」です。お金かけて集まっているわけであり、意見対立のできるかけがえのない場。企業へ対する期待を添える、満足度を向上させるのであれば、意見対立は構いません。
※なお、今回の案件では上記のような激しい対立はありませんでした。
I:今回の参加者についての所感を教えてください。
村上:
今回の参加者は、事業承継に興味のある人が含まれていて、全員が積極的に実務従事案件に対応していました。また、今までの参加者はほとんどが積極的な取り組みをしてくれるばかりでした。
実務従事に参加する人は意識が高い人と思っています。今回の参加者も含めて、実務従事案件の指導は、「プロデューサー」の立場から見ても、苦労はありませんでした。
案件の確保、クライアントとの継続的な関係での「クロージング力」「共感力」の必要性
I:報告会の後、クライアントとの関係は?
村上:
実務従事が終了した後、この報告書がきっかけでクライアントの関係が深くなり、結果、顧問先になった企業が2件ありました。
「クロージング力」、「共感力」があれば、クライアントとの関係も深まります。
中小企業診断士は、頭のいい人は多いけど、顧問先を作れない人が多い現状があると感じています。その課題として「クロージング力」「共感力」があるかないかが、ポイントとなリます。頭のいい人には、その部分が足りない人が多く見られます
実務従事の課題として、実務従事案件の確保にあると感じています。この「クロージング力」「共感力」の磨くことが、この課題に対するキーになると思います。診断先を引っ張ってくるのは「クロージング力」です。もう一度診断してもらいたいという先方要望を引き出すのに必要なのは、この先生なら信用できる、大丈夫だという安心感がある「共感力」の能力です。この「クロージング力」、「共感力」の習得がなかなかできない結果、実務従事案件、および指導員が増えないに結びついていると感じています。ハードルが高いところですが、克服すべき重要なポイントです。
実務従事で思いがけない人脈も築き、仕事に結びついたことも
I:実務従事における指導員としてのメリットは?
村上:
実務従事では、いろんな業種からの参加者からの人脈も作ることができます。刺激的な出会いも多数あります。そして、思いがけない方向に行くこともあります。一つの話として、実務従事の参加者から企業の相談を受け、アドバイスしたことをきっかけに、その会社の社外取締役を務めました。つまり、実務従事案件をきっかけに取締役になったということです。
実務従事の場にはいろんな人がいます。そしてどこでご縁が受けるかわかりません。全く違う世界との出会いが楽しい。単なる研修だけで終わらすのでは、とてもつまらないと思います。
また、私の念頭には「ノウハウはオープンに」という部分を持っています。中小企業診断士のニーズはかなり多いと常に考えています。だから、私としても今まで経験したもののノウハウ、メソットはオープンにしています。中小企業診断士の外部へのネームバリュー、ブランドはまだ弱いと感じます。だから、ノウハウ、経験のナレッジの共有は、必要であり、今後も情報はたくさん出したいと思います。
I:色々と今後の診断活動に結びつく言葉をいただきありがとうございます。
最後に、今後の実務従事に向けてメッセージをお願いします。
村上:
案件を一人で解決するのもいいですが、チームでやる重要性を実務従事の場で感じてほしいです。そして、この実務従事であった人とのご縁は大切にしたいし、参加者はこの縁で、思いがけない仕事に結びつく場合がありますので、大切にしてほしい。
実務従事を指導する立場としては、クロージングの力は重要なので、案件を創出するとともに、案件からクライアントの関係を強固にすることを念頭に起きたいです。クロージング力に関連して、行政書士、税理士は「相場が立っている」士業であるのに対し、中小企業診断士は、柔らかい部分があり、言い換えれば「相場が立たない」士業であります。よく解釈すれば、いろんなご縁、きっかけとしてブラッシュアップした場合、そして、クロージング力があれば、相場は高くなり、そこが中小企業診断士の肝でもあると思っています。
実務従事の場で情報をオープンし、「村上メソッド」を実現する場、意見を戦える場を活用して、活躍する中小企業診断士をたくさん出したいと思います。そして、中小企業診断士のブランド価値を上げたいと思います。
(インタビューを終えて)
今回は、事業承継に関する実務従事案件を指導したものを取り扱いましたが、村上指導員から、実務従事案件に関する情報のほか、中小企業診断士とはいかなるものかという「気づき」「振り返り」の場にもなったと思っています。
「中小企業は制限の中でのアウトプットが重要」、「実務従事の場は意見を忖度なく戦う場である」、「エンパワーメント」「エンカレッジメント」、「クロージング力と共感力が重要である」と「村上メソッド」と言えるキーワードがたくさん出て、これらの言葉を聞いただけでも、インタビューの間は「中小企業診断士とは」という研修、講義、セミナーを受けているような感じでした。
また、指導員という立場から見ますと、村上指導員が「思いがけない人脈ができる可能性がある」ことを何度も強調していたことが印象的でした。言い換えると、参加者からの思いがけない情報を得るのは、村上指導員の実務従事はいかに参加者が満足したかという証拠かと感じます。
最後に、参加者の立場に戻りますと、改めて思ったのは、村上指導員の6日間研修(実務従事)で、真剣勝負の企業診断ができ、今日話したことを聞けるのは、研修としてはかなりお得なものではないかと感じます。今回は村上指導員の実務従事をピックアップしましたが、今後も今回のような話を引き続き紹介していきたいと思います。
(インタビュー担当:中原裕之(中央支部))