商店街研究会 会長 鈴木 隆男
はじめに
我が国の商業統計上の小売・卸売の店舗数は、平成6年の統計では192万9千店を数えましたが、平成26年の統計では104万7千店となりました。この20年間に減少したのは従業員4人以下の商店街区に多く見られた小規模な店舗です。かつて旺盛な購買力に支えられにぎわっていた商店街は、大型店の出店で衰退し、そして今ネット社会の進展と人口減少の時代をむかえ地域が縮小するとき、それに合わせるように店舗数を減少させています。立地のよい駅前などでは小売店舗が飲食店や医療系店舗に入れ替わっています。
1.商店街とは何か
(1)空間的概念と組織的概念としての商店街
中心市街地には、多くの商店があり商業集積地区を形成しています。一般的に商店街を指す場合これらを指し、自然発生的に形成された「空間的概念」としての商業集積街区になります。
自然発生的に形成された街区の商業者によって人為的に組織されたのが「組織的概念としての商店会」で、事業協同組合、振興組合の法人組織と任意組織があります。
同志社大学上田誠氏は「商店街に関する政策科学的考察」(2005)で商店街には、空間的概念と組織的概念が存在し、この2つの混同とズレから生じる問題点を指摘しています。
商店街の2つの概念が、曖昧に受け止められ理解されているところに問題があります。国や自治体が「商店街の活性化」とは、空間的概念の商店街の活性化を、組織的概念の商店街の活性化を目指すべきなのか、その目標設定によって、具体的な政策や施策は大きく変わってきます。明確な目標が定まれば、目標を達成するための商店街組合、各商店、近隣の大型店の取り組みや地域住民の担うべき役割が明らかになり、同時に住民ニーズとの合致性や目標を実現する公共性や価値などについて議論していくことが可能になります。
都市計画からのアプローチは空間的概念が強く、経営学からのアプローチは組織的概念が強い傾向にあります。組織的概念自体は空間的概念の商店街の形成を前提とすることから、商店街の定義を大別すると「空間的概念によるもの」と「空間的概念に加え組織的概念を要件とするもの」の2つが存在することになります。この商店街に関する2つの概念を意識して切り分け、それぞれを認識することが商店街の本質を理解し、有効な政策や施策に繋がるのではないかと結んでいます。
同じ商業集積としてショッピングセンター(SC)があります。SCは、ディベロッパーにより計画的に開発された空間の中に存在し、組織的概念はほぼ、商店街組織と同じ要素で成り立っています。
(2)商店街組織の役割・機能について
商店街の組合組織は地域商業者の相互扶助を目的として組織化され、イベントや中元・歳末大売り出しなどの共同経済事業(ソフト事業)、アーケード、アーチ、街路灯設置などの環境整備事業(ハード事業)を行っています。中小企業診断士の支援対象は、この組織(経営体)でソフト事業、ハード事業、補助金申請など幅広く行われています。
われわれ中小企業診断士が診断や支援をするのは、この組織(経営体)ですが、企業の経営改善などの支援と異なり難しくなっています。この原因は、ア.組織の意思決定構造、イ.組織の多様性、ウ.商業者による運営にあります。また、組織(経営体)である以上、どのような事業活動を行うかが重要となりますが、商店街組織の規模により落差があり、イベントや空き店舗対策、トレンドなまちゼミを行うなど積極的活動を行う反面、定番的な中元・歳末大売り出し、街路灯の電気代の徴収を主とするなどその活動はさまざまです。
商店街組織は、個々の商業者の集積体で、その構成は、大手チェーン店に代表される革新的商業者から老舗といわれる伝統的商業者まで、その成り立ちや規模も大小さまざまです。商店会組織と個店との関係では、健全な個店経営が、健全な商店会活動を行える前提になりますが、この健全な個店経営を行える商業者が減少しています。
(3)商店会組織における意思決定構造
①意思決定の二層性
商店街組織は、個々の商業者の集合体であるため、その意思決定は、個々の商業者の意思決定と商店街組織の意思決定があります。最初に個々の商業者の意思決定があり、次に商店街組織の意思決定があるため、組織の意思決定が従となる場合が多くなっています。
たとえば、商店街の近くに大型店の出店が決まった場合、商店街は反対を決めますが、組合員の商業者がテナントとして出店することもあり、個店の店舗戦略や商店街を取り巻く問題に対する認識の違いにより、必ずしも商店街の意思決定が個店の意思決定に影響を及ぼすとは限らず個店の意思決定が優先されます。
②商店街組織の合意形成
企業はトップダウンの物的結合体ですが、商店街組織は、ボトムアップ的な地縁で結ばれた人的結合体の相互扶助的な組織で、平等性と任意性が担保されています。ここが企業経営とは大きく異なる点になります。
平等性とは、組合員の協調・協力を基に、各個店が不足する経営資源を相互補完することを目的とした協同組合形態で、組合員相互の共同経済事業や福利厚生事業などを行うのには適していますが、迅速な意思決定や戦略的な意思決定には不向きな側面があり、これを組織として行うには大きな困難がともないます。
任意性については、個々の商業者の自主的な参加により、相互に協力することで組合が定めた目的を達成する組織のため、街区内の商業者を強制的に加入させることはできません。また、組織決定が個別の商業者の意思と異なる場合は退会ができるため合意形成では、最低の線で決着する場合が多く、総論一致各論不一致になる傾向が多く発生します。
北海道大学満園勇准教授は、商店街は「組織」としての活動があまり得意ではなく、利害の調整が難しい性質を持っていると述べています。商店街の盛衰は、競争という原理に大きく左右され、個々の小売業者が自分の店の利益を最大化するべく競争を展開することが、結果的に商店街全体の魅力を高めたり、逆に魅力の乏しいものにしたりします。
2.全国の商店街が衰退した主な理由
1960年代に入るとダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ(現イオン)など大型スーパーの進出が始まり、駅前や中心市街地に店舗を構えるようになり、地域商業者との競争が激しくなります。その外部環境の変化に対して、小規模小売店保護の立場から、昭和48年に第 2 次百貨店法が廃止され大規模小売店舗規制法(大店法)が施行されました。
1970年代の中頃からは、土地の取得に関して、地域商業者との調整、事業用地の取得、賃貸料の高さ、駐車場スペースの限界などから、モータリゼーション進展の影響もあり郊外やロードサイドに出店するようになると中心市街地の大型店舗の撤退が始まり、とくに地方都市の中心商店街の衰退が始まります。
(1)街の商人の「外の敵」と「内の敵」
全国展開する量販店チェーンや大規模ショッピングセンターなどが、市街地の近くや郊外に出店すると、それを防げないで商店の売上が落ち、街が崩壊していく現象を「外の敵」問題と呼ぶことができます。
商店街の客を奪う大規模小売店舗の開設など、街の外にある勢力「外の敵」の問題が最初強調されました。その一方で、衰退の問題を「外の敵」のみに原因を求める視点の不十分さに商業者が気付き始め「街の内」にある問題性が強く意識され始めました。商店主自身によって商店街を構成する店のやる気や魅力がない店、同業種同士の競業などが商店主たちに意識され、問題が「大規模店に客足をとられる」「駐車場がない」といった問題から「後継者難」「魅力ある店舗の不足」「商店街活動への意識の低さ」などにシフトしたことに現れています。この「街の内の敵」の問題を早い段階から指摘したのが、石原武政・石井淳蔵「街づくりのマーケティング」 (1992年)(日経新聞社)です。両氏は、フィールドワークを中心とした調査から、「街の内の敵」の存在を明確にし、「街づくり」「商人たちの共同事業」の観点から、この問題への対処の可能性を示しました。
(2)街の商人の「内々の敵」
この「内の敵」へのアプローチにも限界が残されていて、「内の敵」のさらに内にある問題として商店主個々の問題の存在でした。この問題に迫ったのが神戸大学石井淳蔵教授 「商人家族と市場社会-もうひとつの消費社会論-」(1996年)(有斐閣)でした。同氏は、商店街や小売市場での商店経営のより本質的な単位、つまり「商人家族」に分析の焦点をあて、より本質的な問題を提起しました。この「商人家族」に内在する問題を「外の敵」「内の敵」に対して「内々の敵」と呼びました。
高度成長期に入ると街の商人たちの商店経営の仕組みや基盤が変化し、商人たちの家族や生活が、商店と分離し始めたことに焦点をあて「伝統的家族」と「近代家族」の切り口から、丹念なフィールドワークを重ねて商人家族の問題に迫りました。1960年以降、「商店と家族」との関係が変容し始め、拡大家族から核家族へ、職住一致から職住別居、現場教育から学校教育へ、見合い結婚から恋愛結婚へと商店と家族の関係が変わってきました。
核家族化は重要な働き手の減少、職住別居は商人と街との関係の希薄化、学校教育は自由な職業の選択へ、恋愛結婚は商売との分離などを指摘し、若い店主は、決して家族を犠牲にしてまで、商いや街の行事には打ち込まない、それは街への愛着の喪失となりました。
(3)零細小売業店主の供給
林彦櫻弘前大学助教(2015年)は、店主の供給源に注目し、1950年代後半から1980年代初頭にかけての間の零細小売業内部の変化を検討し、店主の供給源を家業承継者、前職店員の独立開業者、その他開業者に分けて分析を行い、家業承継者の就業選択の変化と若年店員の減少により、1970年代以降、家業承継者と独立開業者という供給源は縮小してきたと指摘し、また技術発展、流通機構の変化、規制緩和などにより参入障壁が低くなったことも家業承継者と独立開業者の存立基盤が縮小した要因となったとしました。
3.近代化での商店会組織の形成
明治5年の日本の人口は、約3,500万人でしたが、明治45年には5,000万人を超え、人口の増加とともに都市化が進み多くの人たちの日常生活の物資を賄う商業が発展しました。明治27年に日本で最古といわれる片町組合(現:金沢片町商店街)が結成され、竹盛会(現:台東区佐竹商店街)、心勇会(現:心斎橋筋商店街)の結成、黒門市場公認市場許可、小倉魚町が「えびす市」開催、大正3年三条会(現:京都三条会商店街)を結成してスタンプ事業を日本で初めて開始しました。
(1)商店会組織の法整備
昭和に入ると国による法整備が進み、昭和7年に商業組合法が作られました。この法律の目的は、世界恐慌の進行や百貨店の大衆路線化により中小の商業者が圧迫される中で、中小零細商業者による組合設立を認め、共同施設を設置し、百貨店に対抗できる共同仕入体制の構築と営業に関する統制・指導を目的としました。施設の整備は、中小零細商業者を保護・育成により地域住民の新しい生活インフラの実現を目指しました。昭和12年、中小零細商業者との紛争を調停するため第1次百貨店法が制定されました。その後、戦時下の昭和18年に商工組合法が制定され、商業組合法はこれに統合され廃止されました。
(2)戦後の商店街組織と法整備
大戦で日本の大半の都市空間は廃墟となり、基幹産業は壊滅、物価秩序はインフレーション、配給制度、闇物資の流通、大量の失業者などにより混乱を呈していました。都市には大勢のにわか商人が出現し小規模零細な事業者として商いを行い始めます。当時の零細小売事業者は、過剰労働力のプールと言われ、流通機構の一部門だけではなく、労働市場の緩衝装置として機能していました。昭和30年頃から始まった高度成長期以降、このような状況は大きく変わっていきました。戦前の小売業は、中小零細小売業以外は、近代的小売業態は主に百貨店だけでしたが、高度経済成長の始まりと大衆消費社会の成立にともない戦後の小売業は多様な近代的小売業態として開花していきました。
①戦後の国の商業政策
昭和22年にGHQにより第1次百貨店法が廃止、昭和24年に中小企業等協同組合法が制定、商店街の法人化が進みました。この組合法の制定の目的も戦前の商業組合法と同じでしたが、1つ異なったのが戦後いち早く復活した電鉄系百貨店との紛争の中で政策形成集団として力を付けたことで、昭和31年の第2次百貨店法の制定へとつながりました。
②商店街振興組合法の公布
伊勢湾台風をきっかけに昭和37年に商店街の単独法として振興組合法が公布されました。物資の流通が麻痺する混乱の中で、市民の日常生活に商店街の小売機能の迅速な復興が求められ、政府は復興のための補助金対象を法人と決めました。法人には事業協同組合がありましたが、同業種的協同組合では地域団体的商店街にはそぐわないため、愛知県商店街連盟を中心に振興組合法成立に動いていきました。政策形成関係者として大きな力を付けていった商店街は、昭和48年の大規模小売店舗法(大店法)の制定へと向かい、同様に大きく成長してきたダイエーなどの大型店との商業調整の時代へと入っていきました。
大勢の買物客でにぎわった商店街が地域の顔として大きな存在感を見せていた時代ですが、伝統的家族が支えていた地域商業が大きく変容して行った時代でもありました。
(3)商業調整の時代の終わり
日米の貿易格差を縮小する目的で行われた日米構造協議で平成2年にアメリカが「大店法を地方自治体の上乗せ規制条例を含めた撤廃」を要求しました。翌年、商業活動調整協議会(商調協)が廃止され、大店法の運用は大幅に緩和され、各地で大規模ショッピングセンターの進出が展開されました。平成12年まちづくり3法が成立、大店法は廃止され、我が国の流通政策が大きく方向転換をしました。
4.都市と商業の階層性
都市は、政令指定都市、県庁所在地都市、周辺都市など歴史を経て階層構造を形成し、下位の都市は上位の都市に依存しています。商業は地域性が強い産業のため都市と同じような順位で階層性が成立し、超広域型、広域型、地域型、近隣型商店街と分類され、専門商品や買回り商品はより上位の都市の商店街で購入されます。階層性は一つの都市の中にも存在し、都市特性により商業の性格は異なっています。都市や商業の階層性は固定的ではなく、周辺部への大型店の進出、高齢化・人口減少により大きく変化していきます。
都市は、都市計画法の適用を受けます。都市計画は、将来の都市のあり方を、現時点であらかじめ決めることで、土地利用規制、都市施設整備、市街地開発を定め、財源を用意し実施します。人口減少時代を迎え、集約型都市構造をめざし中心部の公共公益的施設の適切な更新、再配置が重要な課題となり、都市構造の特性に合わせて変える必要があります。このことは、都市の中での商業の階層性にも大きな影響を与えていくことになります。
5.商店街支援策の変遷
大阪商業大学南方健明教授は、地域商業の経済的機能強化は、地域商業の社会的・文化的機能強化の視点から支援され、「まちづくり政策」の中に地域商業政策が埋め込まれていく過程としました。
1960年代以降、大規模小売店舗の展開が進展する中で、生活者ニーズや行動が変化し、中小小売業者・商店街に求められる機能にも変化が求められていました。昭和45年流通近代化地域ビジョンで「商業近代化地域計画」が提言されました。
(1)商業近代化地域計画の目的
この策定事業は、昭和45年度から、関連諸地域計画との調整を図りつつ、商業サイドからは長期的視点での地域ぐるみの街づくりを策定する「基本計画策定事業」が行われました。昭和50年度からは、事業計画を具体化する「実施計画策定事業」が追加されました。この事業は、平成2年まで継続され、昭和50年からの21年間で、105地域で実施され、ハード施設(アーケード、カラー舗装、街路灯等)の整備が行われました。
(2)中小小売商業振興法制定の背景と目的
我が国の商業振興政策と商業調整政策は、大型店問題に対応して策定されてきました。商業振興政策の中心となる中小小売商業振興法(昭和48年)が制定された背景には大店法の規制緩和があり、同法は昭和38年に制度化された共同施設事業、小売商業店舗共同化事業、小売商業等商店街近代化事業等の高度化資金助成制度を始めとする流通近代化政策の中で、中小小売商業の総合的・体系的な振興を目的に制定されました。
(3)コミュニティ・マート構想
80年代流通ビジョンで「小売業はまちの重要な構成要素となっており、都市計画の推進に当たっては商業集積のあり方とは相互に緊密な関係にあり、都市計画当局との連絡を密にした「都市商業政策」を推進することが求められる」という認識が示されました。
同構想は、長期的なまちづくりの視点から商店街の近代化を推進し、商店街を単なる「買い物の場」から地域住民が集い・楽しみ・憩い・交流することのできる「暮らしの広場」へ変えていこうとするものです。
令和3年4月の商店街研究会例会では、大坂市立大石原武政名誉教授の講演でコロナ禍における商店街では、地域住民の暮らしの広場の重要性をお話しされていました。
(4)特定商業集積法
同法は平成3年、コミュニティ・マート構想、90年代流通ビジョンのハイマート構想の考え方を引き継ぎ、商業集積を中核としたまちづくりを志向するものでした。同法には3つの形態が用意されていました。①高度商業集積(ハイ・アメニティ・マート)型、中小店と大型店の共存共栄による中小商業振興、コミュニティとアメニティ機能の提供、②地域商業活性化型、これは既存商店街を想定していました、③中心市街地活性化型になります。
商店街活性化事業と都市計画事業の併用例として高松丸亀商店街があります。同商店街は通行量が減少していない昭和60年ころから商店街全体をショッピングセンターに見立て、市街地再開発事業を計画し、街区をAからGまでの7街区に分け小規模連鎖型の開発を行いました。地権者はまちづくり会社と定期借地権契約を結び、「所有権と使用権の分離」と「オーナー変動地代家賃制」を採用して運営を行っています。
大阪経済大学河上高廣教授は、これらの一連の政策について、商業集積を含んだ「まちづくり」という言葉は響きがよいが正確な意図が伝えることができないとし「商店街改造」という言葉を使用するとしました。
6.新流通ビジョン
流通ビジョンは、産業構造審議会流通部会の答申として昭和45年「流通近代化地域ビジョン」として表され、以後環境の変化に合わせ、小売機能と都市機能との関係について新しい方向性を示してきました。
平成19年「新流通ビジョン」が公表され、内容は今までの流通ビジョンを引き継ぐ形で生産性・収益性の向上(経済的効率性)と持続可能なコミュニティの構築(社会的有効性)を改めて確認しました。持続可能なコミュニティの構築では、公共性を持つ社会インフラの提供(小売の社会的機能として地域社会の交流の拠点)、社会的責任への対応(まちづくりへの貢献、安全・安心への対応)などが挙げられています。
公共性を持つ社会インフラの提供には、ショッピングセンター、スーパーマーケット、コンビニが示され、社会的責任への対応は、大型店やチェーン店に貢献を求めています。商店街という言葉やまちづくりに果たしてきた役割や貢献についての記述はなく、大型店やチェーン店にこれらの対応を求めており、これまでとは異なる大きな方向転換となりました。
平成21年には、10年間の時限立法の地域商店街活性化法が施行され、新たな商店街のあり方として「地域コミュニテイの担い手」と位置づけられ、商店街本来の商業機能を強化する取り組みが必要とされました。
満園教授は、日本型流通の歴史に重要な地位を占めていた商店街は、消費の論理と労働の論理と地域の論理が総じてバランスがとれていた。現在の商店街をベースとした「まちづくり」の困難性は、「消費の論理」と「地域の論理」が接点を持ちにくいところにあり、商店街をベースとした「まちづくり」が商業機能(モノの売り買い)と結びつかないのであれば、商店街という形はやがて消えていくと言います。
商業者が商店街組織に加入する目的は、自店の利益の最大化であり「まちづくり」が目的ではないということになります。
7.商店街を取り巻く環境変化
(1)商店街のフリーライダー問題
商店街組織には加入脱退の自由があり、組織の制度上、フリーライダーが存在することは避けられません。石原武政氏(商店街の不動産と商店街組織2014年)は、その組織がアーケードなどの不動産を所有することの将来的な弊害について論じています。
関西学院大学石淵順也教授は、商店街が立ち行かなくなった時、担ってきた「まち」のインフラの維持・管理、処分をどのようにするのか、ほとんど注目を集めることはなかったが、「まち」のインフラは老朽化が進んでいるとし、橋や道路などのインフラ老朽化に注目が集まるのとは対照的に、中心商業地のインフラの老朽化は、重要な問題となっていると指摘しています。
費用を負担しないで、利益を得ているフリーライダーの代表格が大手チェーン店や他地域からのテナント店になります。地域商業者の相互扶助を目的として組織化されたのが商店街組織と定義される以上、それらの店が商店街会員となることには、矛盾があります。
(2)エリアマネジメント活動
まちに愛着を持たないフリーライダー問題に対応するため、平成30年に地域再生法が改正され、官民が連携してエリアマネジメント活動を促進することにより地域再生を実現する「地域再生エリアマネジメント負担金制度」が創設されました。
人口減少やそれにともなう地域経済の縮小という課題に対応し、地域再生を実現していくためには、企業の経済活動や人々の生活の基盤となる「まち」の活力を維持・向上していくためには行政だけでは限界があり、いかに地域を構成する多様な関係者の力を引き出し、活躍してもらうかが重要です。 この点、エリアマネジメント活動は、来訪者や滞在者の増加によるにぎわいの創出等を通じて、地域における就業機会の創出や経済基盤の強化に寄与し、ひいては地域の価値の向上を実現するものであることから、法的に地域活動を促進するためと位置づけられました。
8.商店街への新しい対策
(1)環境整備と共同経済活動の分離
商店街組織は、イベントや大売り出しなどの共同経済事業、アーケード、街路灯設置などの環境整備事業を行っています。この中でもアーケードの維持等の環境整備事業への負担が大きいため、この2つの事業を分離し商店街活動は共同経済事業を中心とし、環境整備事業は行政に移管するのが望ましいと思います。人口減少時代を迎え、集約型都市構造をめざし中心部での公共公益的施設の適切な更新、再配置が重要な課題となっている現在、アーケードの撤去など柔軟に対応できる体制作りが必要になると考えます。
(2)一律的支援の見直し
現在の商店街支援はほぼ一律に行われていますが、これを見直し一定の支援要件を付けるべきと考えます。支援を行う要件として加入商店数、商店街街区に対する事業者や商店数の割合、イベントの年間開催数、街路灯の設置、歩道の整備など商店街そのものの条件と駅前などの超広域・広域、住宅街などの近隣型など立地別の条件が考えられます。
(3)支援する行政について
地域住民の暮らしの広場の重要性は、コロナ禍以降で重要性を増すようにも思えます。都市特性により商業の性格は異なり、地域住民と商店街(商機能とコミュニテイ機能・文化的機能)を地域の実情に合った形で支援できるのは、地域行政と考えますがそれを担う行政担当者が質・量的とともに、政策的にも少ないように思えます。
*文中の「街づくり」と「まちづくり」ですが、1980年代までの高度経済成長期に特徴的だったハード重視・もの重視の開発発展方向時代が「街づくり」で、それ以降のソフト面の充実を目指す公共事業・住民参加が発展した時代が、「まちづくり」と分けていますが、明確な定義はありません。
商店街研究会
東京協会認定研究会 設立:平成14年 活動目的:商店街の活性化に資する研究、支援、提言を行う。活動:毎月1回の定例会の開催、会員数:85名(令和3年3月末)、入会金・会費:3千円、出版:平成25年「TOKYOキラリとひかる商店街」平成29年「TOKYOプラスひときわ輝く商店街」を発刊、平成31年度中小企業経営診断シンポジウム「稼ぐ商店街から見る行政ビジネス」最優秀賞受賞