~BSSAHP(ビーサップ、「階層分析法による事業承継支援」)による内なる想いの見える化~
城南支部 成長産業分野研究会 出水 進
1.ツール開発の経緯
城南支部認定研究会である「成長産業分野研究会」は2015年に発足し、さまざまな専門分野を持つ診断士が①医療・健康、②環境・エネルギー、③ツーリズム・クリエイティブ、などの成長産業分野についての産業政策や中小企業支援手法の研究を行っている。
かつて城南支部内で活動していた「新しいプレゼンテーション研究会」と「実践能力開発研究会」が解散した際、両研究会から志を同じくするメンバーが当研究会に合流し、今日に至っている。
研究会での交流を深めるなかで、3研究会の特徴を生かした活動ができないかとの意見が持ち上がり、「実践能力開発研究会」がもっていた分析ツールのノウハウ、「新しいプレゼンテーション研究会」のプレゼンテーションスキル、「成長産業分野研究会」のメンバーの広範な専門性と企業支援経験を組合せて、支援ツール開発を行っていくこととした。
研究を進めるなかでコアとなる分析手法をAHP(階層分析法)に求め、支援分野を事業承継として開発を進めてきた。ただし事業承継関連を対象にしたことで想定される主な支援対象は成熟産業となり、この支援ツールの中に対象先を成長産業分野の企業に限定するような特別な要素は盛り込んでいない。
2.AHP(階層分析法、Analytic Hierarchy Process)について
(1)AHPとは何か
ここで、本題である事業承継支援からはやや離れてしまうが、分析手法の基礎となるAHPの概要について記す。AHPは1970年代に米国ピッツバーグ大学のトーマス・L・サーティ教授が主唱した意思決定理論であり、決定者の主観的な評価をシステマティックに選択に反映させることに特徴がある。心理学、統計学、経営学を組合せたような面があり、個人の自動車購入から、大規模プロジェクト、さらには国家的な外交・軍事面での意思決定まで応用範囲は広い。
現在の日本でも大学では盛んに研究され続けている。また公共セクターでの利用例が見られるが、一般企業での利用はほとんど知られていない。これは公共セクターでは「市民の満足」、「自然環境や伝統文化の維持」など、金銭的に計量できない要素を評価する必要があるため、主観的要素を取り込んだAHPを利用するメリットがあることに対して、営利の民間企業においてはIRR、NPV、Value at Riskなど金銭的な要素による客観的な評価方法が確立しており、主観的な要素を取入れる必要性が薄いことが理由と思われる。また大企業、とりわけ株式公開企業においてはコーポレート・ガバナンスの観点からも主観的要素は回避される傾向にあり、またオーナー企業においては仮に一人の意志決定者の主観的要素を重視した意思決定が行われていたとしても、評伝や社史などの特殊な例を除いては事例を外部からうかがい知ることができないという事情がある。
(2)AHPの手法
意思決定手法としてのAHPの特徴は、①「階層化」と②「一対比較」である。「階層化」と「一対比較」のイメージを下に示す。
まず、「階層化」の過程では意思決定に影響を与える要素を洗い出し、それらを階層化していく。たとえば中小企業の経営者が後継者に求める資質を、「A市場・営業のグリップ」、「a1営業力」、「a2商品知識」、「B製造現場への知見」、「b1技術力」、「b2研究心」、「C人間的な魅力」、「c1コミュニケーション能力」、「c2決断力」と考えた場合、相互関係を検討したうえで、大文字A、B、Cの3要素を対等な上位レベルの要素、a1、a2、b1、b2、c1、c2の6要素はおのおの2個ずつ上位レベルを構成する下位レベルの要素と整理していく。
次に、「一対比較」では選択肢を評価する際、多数の選択肢に一斉に順位や評点をつけるのではなく、2個ずつ選択肢を組み合わせてリーグ戦形式で優劣を決めていく。また優劣を比較する際は100点満点で評価するのではなく、「大変優れている」、「優れている」、「やや優れている」、「同等である」などの主観的評価を行ったうえで、その後あらかじめ決めた尺度に当てはめていく。
上の表は1要素である「技術」について4人の後継者候補を評価したものである。この後すべての要素で同じように評価を行ったうえで、総合的に4候補者の順を決めていく過程があるが、やや専門的なので算定方法は割愛する。ここでは単に縦横の2次元の行列を使った加重平均計算であり、Excelを利用して計算式を作成することが可能であることを記しておく。
3.事業承継をAHPの応用対象分野 とした理由
上記2.(1)で述べた民間企業でのAHPの利用事例の少なさを研究会では逆の面から検討した。すなわち、中小企業の事業承継は一人の経営者にとって通常は人生で一回だけ行う決断であること、また事業への想いという主観的要素で行われている部分が大きいことから、AHPの活用の余地があるとの仮説を立てた。
また、経営者が熟慮の上で行った決断であっても、事後振り返って迷いが生じることはないのか、取引先、金融機関、従業員といったステークホルダーへの説明に困ることはないのかと考え、経営者の意思決定を支援するツール開発を検討することとした。
また、開発を進める上での研究会内のモチベーションアップや、支援予定企業への訴求力の観点から、開発ツールの名称を決めることとし、BSSAHP(読み方ビーサップ、Business Succession Support by Analytic Hierarchy Process、「階層分析法による事業承継支援」の頭文字)と名づけた。研究会では「BSSAPは経営者の後継者選択への想いを客観化することにより、経営者が持つ迷いを減らすとともに、取引先、金融機関、従業員などへの説明力を強化する」ものと位置づけて開発を進めた。
4.開発ツールの概要
研究会で開発した事業承継支援ツールであるBSSAHP(ビーサップ)は3つのパートからなる。前工程としてのヒヤリング・マニュアルとワーク用の小道具の提示、主工程としての後継者候補と求められる資質の評価および結論の導出、後工程として報告書作成である。
(1)前工程
診断士用のヒヤリング・マニュアルを作り、経営者から後継者候補と、後継者に求める資質を聞き出すとともに、主工程で使う小道具類を提示する。小道具とは刑事ドラマにおける捜査本部のホワイトボードのようなイメージのもので、後継者候補の顔写真、相関図などを貼り出して、経営者と議論を進める。この際経営者と具体的なイメージをもとにディスカッションすることが重要である。候補者の実際の顔写真がない場合でも、似たタイプの芸能人の写真や似顔絵で代替する。また、階層化の対象となる意志決定に影響する要素の書き出しや、候補者や資質の重みを測るゲージ(メーター)もマグネットなどを利用してビジュアルなもの、試行錯誤ができるものを作成し使用する。
(2)主工程
後継者候補に求められる資質(例:業界での経験、技術力、人間的魅力など)を抜き出し、その評価項目としてのウエイトを決める。また各評価項目について後継者候補の優劣を決めていく。その評価方法と総合判定がAHPの手法そのものである。2.(2)で前述通り、①判定者が主観により評価を行うこと、②複数の選択肢に一度に順位を決めるのではなく、選択肢を2個ずつ選んでリーグ戦のように優劣を決めていくことに特徴がある。そして本稿2.(2)では説明を省略したがAHPで使う計算式に基づき評価の加重平均を計算し、最終的な後継者の総合順位を決定する。この主工程の段階でどこまで経営者の本音を引き出し、想いを整理してあげることができるかが、後工程に大きく影響し、このツールに経営者の納得感が得られるかのポイントとなる。
(3)後工程
主工程までに行った作業を報告書にまとめ、診断士と経営者が共有するとともに、後日経営者に迷いが出た際に読み返したり、経営者が取引先、金融機関、従業員に後継者を決断した理由を説明したりできるようにする。報告書では結論や計算過程に集中せず、①企業の沿革と経営者の想い、②企業の現状認識と事業継承を決めた理由、③後継者候補に求められる資質、④選択理由(=主工程の文書化)、⑤後継者への想いと引継ぎ期間中に現任者として行う引継ぎ・育成計画、などを総合的に書き示す。このように報告書の項目を充実させ、具体的な使用法を想定することで、BSSAHPを理論的な分析にとどまらず、より実践的なツールとして充実させていく。
5.開発過程で認識した課題
(1)効果測定
現在、BSSAHPはベータ版が完成した段階であり、まだ企業で実際に後継者選択のために活用してもらった例はない。一方、開発途中の試作品のテストとして、後継者決定済みで経営引継ぎ中の経営者に事後的に使ってもらい意見を聞いた事例が2例ある。
事例1での経営者の感想は次のとおり、①実際の決定は信念で断行したもので、ツールで分析するような緻密なものではなかった、逆にいくら緻密に準備したとしても結果に納得できるかどうかはわからない。②一方で、取引先、銀行に後継者を紹介する際に、なぜ後継者としたのか客観的な説明ができることは非常に有用である。③またこのツールを使えば後継者の強みと弱みが明らかとなり、引継ぎ期間中に後継者を育成するうえで何に優先順位をつけていくべきかの指針となる。
事例2での経営者の感想は次のとおり、①自分には後継者候補が一人しかなかったので、後継者の比較は行わなかった。②なぜ業務内容を取捨選択したのかについては自分なりの解はあるが、取引先や銀行への説明には苦労する、ツールがこの部分で役に立てばありがたい。③廃業も視野に入れて、撤退する事業、残す事業を比較するうえで影響する要素は後継者選択の場合ほど整理されておらず、また比較も難しいと思う。
(2)認識した課題
研究会内ではテスト事例実施以前の開発段階から、このツールによって実際の後継者選択を行うレベルまで作り込むことは困難ではないかと議論されていたが、事例1感想①では、予想どおりの意見が寄せられた。一方、事例1感想②、事例2感想②では共通して、ステークホルダーへの説明力強化や、事例1感想③の後継者育成プログラムには有用と思われる、との評価があった。
また事例2感想③では、事業分野の整理、廃業・売却などに対しては意思決定を構成する要素の整理が後継者選択と同じようなレベルまではできていないことが認識された。
6.今後の開発予定
現在研究会では診断士が相互に経営者役となって、ロールプレイを重ねることでベータ版の完成度を高め、事業継承支援ツールとしてのBSSAHPの実用化を目指している。その中で今後のブラッシュアップのポイントとして、現在3つの課題に取り組んでいる。
(1)ヒヤリング開始時点で経営者と親しい関係が構築できているかを意識した、複数のヒヤリング・シナリオづくり。診断士からのアプローチによりヒヤリング結果にバイアスがかかることの防止策。
(2)廃業・事業売却と事業存続を比較する場合に影響する要素の体系化。
(3)評価要素のすべてを対象経営者からのヒヤリングによらず、公的資料や先行調査から得られるデータを評価ウエイトに取り入れることの是非。(以下に先行調査の例を示す。)